2011年1月16日

コラムアンテナ どこへ行く レイマンコントロール

県立学校校長会(1月16日、県教育センター分館)
昨年末、高知県教育委員会を代表し、県議会議場では執行部席で答弁に立つ教育委員長に県立学校教員出身の元県教育次長、小島一久氏が選出された。

小島氏は昭和42年に県立高校教諭に採用。昭和58年から、指導主事を皮切りに人事班長、企画主監、課長と12年間、教委事務局高等学校課の要職にあり、教員出身者の最高ポストで教職員人事に絶大な影響力を持つ教育次長を5年間務めた。県教育行政に精通し、「教員一家」という一種のギルド(排他的な同業者の組合)の頂点にあった人物である。

「レイマンコントロール」とは「一般市民による統治」の意味で、国家による教育統制を繰り返さないために取り入れられた教育委員会制度の基本理念とされている。

教育育委員会は教育行政を執行する事務局の上位にあり、重要施策は委員会の議決を経なければ実施できない。内部の論理が優先して、視野狭窄に陥りがちな教育行政を、レイマン=市民がコントロールするという考え方である。

このような役割を持つ県教育委員会を代表する委員長に、事務局最高ポストの経験者で、レイマンの対極にある小島氏が選出されたことには違和感を禁じえない。

同氏は平成20年から教育委員を務めていた。これまでの発言を注意深く聞いてきたが、さすが教育行政に詳しいだけにレイマンにありがちな現場を知らぬ思い付きとは一線を画す、的確な発言が印象に残る。しかし、委員長となれば話は別で、事務局の上に立つチェック機関の長を身内がやることは、制度の趣旨に著しく反するのではないだろうか。

1月6日に開かれた県立学校校長会では県教育委員会を代表して小島委員長が年頭あいさつに立った。「久しぶりのこういう席でのあいさつ。ドキドキしている」と出だしはソフトだが、「学力、体力を中心に成果を出すため、校長が定めた目標・意図にむかって全職員が同じ方向に進んでいくのが学校運営の基本。先生の状況によって、そういう方向に向けるのが困難な学校もあるかもしれないが、全力をあげてその方向に導いてもらいたい」と強力なトップダウン、強いリーダーシップ発揮を求めた。

端々から「具体的成果を上げよ」というメッセージがにじみ出る発言だったが、身内トップの訓示には、大手電器メーカー出身でピントが外れがちだった前任者とは、聞き入る校長たちの姿勢がまるで違っていたのが印象的だった。

県教委のウェブサイトでは教育委員会制度を以下のように説明している。「一般人(レイマン)である教育委員の合議により、大所高所から基本的方針を決定し、具体的な事務処理は、その方針・決定を受け、教育行政の専門家としての教育長が、事務局を指揮監督して執行する仕組み(レイマンコントロール)となっています」。

県教委関係者に「身内がトップでレイマンコントロールと言えるのか」と聞いてみたが、「指摘は分かるが、教育委員会は合議制。他に民間出身の委員もいる。事務局出身者が委員長になってもレイマンコントロールは働いている」と話す。

平成20年に大問題になった大分県の教員採用選考試験贈収賄事件では、「県民の目線で教育行政をチェックする立場にある教育委員が、県教委の組織体制の不備を看過していたことも事件を防げなかった要因」と指摘された。大分県の汚職と一緒にされては高知県教委も迷惑だろうが、身内がトップにすわることによるチェック機能弱体化の懸念を、他山の石として教訓にすべきだ。

「成果」を上げるために命令一下、全力で突っ走らされるトップダウン、身内をトップに頂くピラミッド型の雰囲気は危うい。現場教員が「具体的成果」に追われ、一人一人の子どもにじっくり目が向かなくなる懸念が拭えない。レイマンコントロール=市民参加の原点を今一度考えてみるべき時ではなかろうか。(N)(2011年1月16日 高知民報)