2010年9月26日

コラムアンテナ 民主党代表選とは何だったのか

高知市中央公園で訴える小沢一郎氏(9月6日)
9月14日に民主党の代表選が終わり、菅直人氏が再選された。一政党の代表を決めるイベントではあるが、事実上、日本の総理大臣を決める出来事であり、メディアはこぞって情報を大々的に流し、国民注視の中での菅氏再選だった。

9月6日、小沢一郎・同党前幹事長が須崎市、高知市、香南市で演説した。小沢氏に付き添ったのは自治労・高知市役所出身の武内則男参議院議員。民主党の過疎地である高知を地方遊説トップに訪問したのは小沢氏得意の「川上戦略」、高知県が疲弊する地方の典型だからに違いない。

小沢氏の訴えは以下のようなものだった。「日本は非常にきびしい不公正、不平等な社会、格差社会になってしまった。改革の美名のもと自由競争万能で格差が大きくなった。政策を国民の代表である政治家でなく官僚に丸投げした。民主党が政治家が責任をとる政治を訴え政権交代した初心を忘れてはならない。しかし官僚主導の予算編成がすすんでいる。おかしい。何のために政権交代したのか。総理が責任と使命を自覚して腹を据えて取り組めば必ず解決できる。私の政治生命、命をかけて約束を守る」と菅氏の「官僚丸投げ」、腰砕け様を厳しく批判した。

さらに小沢氏は「補助金をまるまる自主財源として地方に交付する。官僚打破、地方活性化のため、地方に金を渡すのが改革の一丁目一番地。キーポイントだ」と強調した。

政策実行のための財源については直接触れなかったが、小沢氏は消費税増税に消極的で、「一丁目一番地」である一括交付金化で地方財源総額を減らして財源を捻出する構想をすでに明らかにしている。なんのことはない「三位一体改革」再来、「構造改革」そのものではないか。

小沢氏の訴えを聞いていると、入口の新自由主義批判などでは共感できるのだが、出口がいただけない。「構造改革」を批判しながら、「構造改革」で財源をつくるというのでは筋が通らない。「国民の生活が第一」という小沢氏のモットーにも反するものだ。

武内議員は同党高知県連の多くの関係者が菅支持を明らかにする中、熱心に小沢支持を公言していたが、高知市役所出身の彼がこんな財源論をよく平気で聞いていられるものである。一部には小沢氏の主張にシンパシーを抱き、「政治とカネは不問に付すべき。検察の国策捜査は陰謀」というようなことを言う人もいる。政治とカネなどどうでもよいというのは論外だが、小沢氏の主張自身が「国民の生活が第一」とねじれて矛盾していることをどう考えればいいのだろうか。

一括交付金化については菅陣営が「大半は社会保障や教育費用であり、削ることはできない」とまともな反論をしていたが、その代わり「消費税増税でいただく」というのだから始末におえない。

結局、この代表選は直接的に消費税でむしりとるか、地方切り捨てという形で国の責任を放棄するかという行き詰まった「二者択一」を競ったに過ぎなかった。

そもそも疑惑が国民的にかけられているような人物が総理大臣になれるはずもなく、菅氏再選は既定路線であったわけで、総理になったとたん「消費税増税発言」で参院選で味噌をつけた菅氏に、再度「お墨付き」を与えるための壮大な政治ショーに過ぎなかったようにさえ思える。

内閣支持率が、就任直後よりも高い超V字回復していることで、当面これらのもくろみは成功したようにも見えるが、支持率の高さは「首相をころころかえるな」という理由が圧倒的、信任を与えているわけでないことは明白だ。消費税増税でも地方切り捨てでもない選択肢を示すことができる国民的な潮流構築が急がれる。(N)(2010年9月26日 高知民報)