2010年7月25日

山内大名家資料保存ピンチ 「劣悪な実態知って」収蔵庫を異例の公開

高知県が所有する「高野切」をはじめとする山内大名家資料を保存展示し、中心商店街活性化や観光にも貢献することを見据えた県立新資料館計画が動き始めていますが、議論の前提となる資料の収蔵の実態についてこのほど取材が許可されました。渡部淳・土佐山内家宝物資料館長は「収蔵庫公開は異例。環境がたいへん劣悪な状態を広く県民に知ってもらうために、思い切って公開した」と劣悪な収蔵環境の改善をアピールしました。

高知市鷹匠町の山内資料館には書、漆、茶道具、能面、染織品、武器武具、大名家の美術工芸品、古書類、写真など67000点の資料のうち、収蔵庫に入りきらない古文書1万点は収蔵庫外に、さらに入らないものは別にするなど分散して保管されています。

渡部館長の説明要旨

桐の箱に入れて外気と遮断するのが収蔵の原則だが紙箱しかないものもある。問題は並べ方で、重ねることで間に湿気を持つ空気が入り込んでカビが生える。

積み重ねない、横と数センチあけておくのが原則だが、原則通り並べるとスペースが4倍、5倍になるので、無理矢理積み重ねている。こうやって置くしかない状況。広さが足りない。(写真上)

 義経所用のものから江戸時代終わりのものまで約100点ある。これだけ残っているのは珍しく、いろんな形の兜がある。山内家の変わり兜といって大名家の兜の中でも有名だ。桐箱に全部入れると収蔵庫に入らないので、やむなく紙で包んでいる。

 南北朝時代のものから100点以上ある。段ボールに入れて置くしかない。室町時代の鎧は全国でもあまり残っていない。修理していないので当時の様子が分かり、全国の研究者が是非研究させてくれというものだ。

図書類 和書漢籍が2万冊 谷秦山の蔵書が中心で大変有名な資料だ。中四国ではトップのコレクション。スペースが足りず、出し入れのたびにひっかかる。

古写真 明治初めの侍のガラス写真から昭和20年代くらいまで約1万枚ある。質量とも日本でトップクラス。これだけで写真博物館ができる。ひとつひとつをケースに入れると数倍のスペースがいるのでアルバムのまま、封筒に入れて立てている。

屏風 裸で立てている。(写真下右)

年譜系図勤務記録 680冊、板垣退助、片岡健吉、岩崎弥太郎、武市半平太、坂本龍馬、中岡慎太郎、平井収二郎、絵金、小龍など数十万人分の経歴が全部入っている。(写真下左)

新歴史館に求められるもの 資料の材質によって適温、適湿度が違う。刀や紙は低いほうがいいが、漆は低いと割れてしまう。収蔵庫は数部屋、湿度を数種類管理しないとまずい。今は全体の平均をとり温度25度から上がらないようにしている。それ以上になるとカビや虫がわく。湿度は58%にしている。完全密閉でなく空気が通るのも大事だ。

調査がすすむほど、広がることを予想して収蔵庫を構えなければならない。収蔵庫は足りなくなる。余裕をどれくらい見ておくか。大名家資料はデリケートなものが多い。微妙で壊れやすいので、最高の環境でないと後世に伝えられない。

資料を後世に伝えるのが第一の目的だが、それだけなら真っ暗いところに置いておくのがいい。だが今の人間が過去を見て学ぶためには、現物を開いて光にあてることになる。これは壊していくことにもなる。保存と活用の折り合いをどこでつけるのかを考えなければならない。ゆったりとした空間で、きちんと隅々まで温度湿度と空気の質を恒常的に安定化させる環境が必要だ。

今は大規模な劣化が起こらないようにするのが精一杯で、大名家の資料がこういう環境下にあるのは珍しい。今怠ると何百年間も続けてきた努力を無にしてしまい、後世に伝えることができない。これは怖い。新歴史館の話はありがたいが、資料をきちんと保管して後世に伝え、そこから学芸員が読み取った情報を分かりやすく伝えていくことを基本に考えてほしい。(7月25日 高知民報)