2009年12月20日

コラムアンテナ 「その後のエンジン01」

林真理子、江原啓之らが話をしたオープニングシンポ(11月27日かるぽーと)
12月6日号に掲載した「雑談の域出ぬエンジン01」というコラムには、かつてない反響があった。大半は「よく書いてくれた」という趣旨で、連日「高知新聞」が大きなスペースを割いて手放しに絶賛していることに辟易している県民が少なくないことが感じられた。

一方で「講師の話を聞き感動し(略)、学ぶことの大切さを知り、教育を再認識しています。近年これだけ多くの県民市民を楽しませてくれた企画があったでしょうか。大いに意義があった。『高い知』こそ、高知を浮揚させる道」という手紙もいただいた。事務局を担当した市文化振興事業団スタッフからは「内容はそれほどでもなかったかもしれないが、県・高知市、青年会議所など県民あげて成し遂げた達成感は、これまでなかった」と、批判は心外という指摘もうけた。

人の受け止めは様々であるし、チケットを購入して会場に足を運び、スタッフとして運営にかかわり達成感を得た人たちと、批判的に取材にのぞんだ者とでは、同じモノを見てもまったく違う光景に見えるということはありがちなことであるが、それにしても、なんとも埋まらない認識の違いがもどかしい。

民間団体が「自己責任」で取り組むイベントなら話はだろうが、多額の税金と公的なマンパワーを大量に投入した公的イベントであるからには黙っているわけにはいかない。

そこで改めて「エンジン01」について考えてみたい。主催者「エンジン01文化戦略会議」とは何者か。代表は樋口廣太郎(アサヒビール株式会社相談役)。樋口は小渕恵三首相の諮問機関「経済戦略会議」の議長を務め「構造改革」を推進してきた財界代表である。この他に「構造改革」をオリックスとともに推進し「過労死も自己責任」と言い放った奥谷礼子、「事業仕分け」で一世を風靡した「構想日本」加藤秀樹、元リクルートで東京初民間人校長、新自由主義的「教育改革」の旗手・藤原和博などの顔ぶれが要所にかかわっている。

つまり、いろんな人物が参加をしているが、総体として新自由主義的、商業的なものに収斂され、文化・思想面から国民を絡めとっていく財界戦略の一環であると実感している。

「エンジン01」がそのようなものであったとしても、批判的な情報もオープンにされていく状況下であれば救いはある。が、実際には県民に圧倒的な影響力を持つ「高知新聞」には歯の浮くような賛美のオンパレードしか載らず、県民には一方的な情報しか伝わってこなかった。

それにしても「高知新聞」は、なぜこれほどまでに「エンジン01」を絶賛しなければならないのか。答えは簡単で、株式会社高知新聞社はこのイベントに700万円の協賛金を支出している。高知市の負担金が800万円であるから、それを超えるのもまずいだろうと、この金額に落ち着いたという話も聞こえてくるが、要するに最大級の大口スポンサーなのである。

協賛金の支出について高知新聞社に確認を求めたが、「105周年事業として位置付け協賛金を払ってはいるが、金額は明らかにできない」との回答(同社長室)だった。非公開にするほどのこととも思われないが、とにかく頑な対応だった。

財界発の戦略に県・高知市と共に、地元紙までが一体化して無批判に追随するに止まらず、これでもかとばかりに自画自賛の「広報」を繰り返す現状は報道のあり方としてもいかがなものか。健全な姿とは到底思われず、言うに言われぬ心地悪さを感じる。「エンジン01」。高知の文化とともに報道のあり方についても考えさせられた。(N)(2009年12月20日 高知民報 文中敬称略)