2009年10月18日

歌声喫茶「ヴァストーク」 幻のマッチ見つかる

写真上・マッチ表、中・マッチ展の様子、下・マッチ裏
高知県における「うたごえ運動」に重要な役割を果たした歌声喫茶「ヴァストーク(ボストーク)」(高知市本町)をご存知でしょうか。「ヴァストーク」が開店時の宣伝用に製作した「幻」のマッチ(写真)がこのほど展覧会に出品されたことから話題を広げています。この展覧会は「高知遺産マッチ箱編」(10月1日から12日まで開催。会場は高知市北本町のグラフティ)。同展に展示された昭和40年代の高知県内の喫茶店のマッチコレクションに「ヴァストーク」のマッチが含まれていることを細木良・高知市議が見つけました。

「ヴァストーク」は1961年から68年まで、大橋通り南側(本町3丁目)で、日本民主青年同盟高知県委員会の文化運動と密接な関係を持ちながら、同委員会の1階で「歌声喫茶」として営業。

マッチ箱(写真)は縦長で表面はコーヒー色、裏はウグイス色。「ヴァストーク」とともに日本民主青年同盟高知県委員会の署名も書かれています。ロシア語の表記は一般的に「BOCTOK」と書かれることが多いにもかかわらず、筆記体で「BOCMOK」となっているのも特徴的です。

初代店長(61年から65年)の岡村万里・現高知センター合唱団長は「開店時にマッチを張り切って作った記憶があるが、その後は作っていない。40年ぶりに見たが懐かしい。店は7〜8坪。ピアノを置いて30人ですし詰めだが、連日若者たちで満員。午後6時から10時頃まで毎日歌った。ロシア民謡、労働歌、『』沖縄を返せ』もよく歌った。ソ連大使館員がたずねてきたこともあった」

2代目店長(66年から68年)の樫原芙美子さんは就職先を辞し25歳の時に店長に。「マッチは見たことがない。当時は民主勢力の高揚期。民青の任務として新しい世の中を作ろうと必死だった。無給みたいなものだったが、歌が好きなので楽しかった。やはりあの頃は若かった(笑)。司会してピアノを弾いて、休憩に飲み物をつくって大変だった。お客さんは入っていたのですが、店長の後を継ぐ人が見つからなかったのが閉店の最大の理由でした」

樫原さんはピアノ演奏で腰を痛め、店長を続けられなくなりますが、後継店長が見つからず、開店から8年で高知県の文化運動と青年運動に大きな足跡を残した歌声喫茶「ヴァストーク」は惜しまれながら幕を閉じました。

岡村さんは「ヴォストークは役割を終えたが、仲間と人生を共有する歌は今も求められていると思う。来年は民青県委員会創立50周年。あわせてヴァストークの資料や資料や写真を集めてみたい」と話しています。 
ヴァストーク(ボストーク) 旧ソ連の宇宙ロケット。ボストーク1号は1961年4月12日に、人類史上は初めてガガーリン少佐を乗せて地球を1周し、無事帰還。ガガーリンは「地球は青かった」という言葉を残す。61年当時はソ連の害悪はまだ顕在化しておらず、「社会主義・ソ連」への憧憬が広範に残っていたことが命名の背景にあったと思われる。(2009年10月18日 高知民報)