2009年10月11日

コラムアンテナ「政権交代は目先か?」

9月県議会で答弁に立つ尾崎正直高知県知事
民主党が政権を奪取してから初めての9月県議会。尾崎正直・県知事の発言で最も印象に残った言葉が「目先」だった。中根佐知議員(日本共産党と緑心会)に政権交代の要因を問われた知事は「国民が目先を変えた」からと答弁した。

あらかじめ用意されていた答弁書には「目先」という言葉は入っていなかった。思わず出た知事のアドリブか、意図的に加筆したものなのかは定かでないが、彼の本音であることは間違いない。

「目先」を辞書で引いてみる。小学館の大辞林では「目の前、その場」。「目先を変える」は「当座の趣向を変えて、目新しくする」。岩波の広辞苑では「目の前、当座、ちょっとした先の見通し」、「人を引きつけ飽きさせないために、その場その場の趣向をかえて変化させる」とあり分かりやすい。

つまり知事は今回の総選挙における国民の審判と選択を、「自民党政治に少し飽きただけ」と軽く表面的にとらえているように思われる。

これが本当であれば思い違いもいいところだ。いかに新政権が頼りなく、危なっかしい部分があるにしても、これまでの自民党政治、とりわけ格差と貧困を極度に広げ、国民生活を根底から破壊してきた「構造改革」路線を国民が拒否し、根本からの転換を求めていることは否定しようのない事実であろう。

従来の自民党政治ではもう駄目だという有権者のこれほどまでに明快なメッセージを、県民の代表たる県知事が見誤ることがあってはならない。これが「目先」にしか見えないようでは困る。

しかし、これまでの知事の一連の発言を聞いていると、新政権に期待しているのは「国と地方の協議の場の法制化」くらいで、「全国学テ」の悉皆調査を抽出化し縮小する方向に激しく抵抗するなど、有権者の選択を真摯に受け止めるというよりも、見下したようないかにも「官僚的」な視線が気になる。

自民党の桑名龍吾議員に「民主党は脱官僚と言っているが、元官僚として、はらわたが煮えくり返っているのではないか」と本会議質問で問いかけられ、知事は苦笑いして頭を振ったが、これまでの知事の言動を見ていると、歴代自民党政権に仕えてきた元官僚として、そのような感情を持っているであろうことは言葉の端々からみてとれる。

もちろん政治家としての知事の政治的スタンスが、自らの信念によるべきものであることは当然だが、県民の代表たる者としてこれからの県政運営にあたっては有権者の判断の重みをしっかりとらえ、施策のよりよい方向転換を、地方からどう具体化していくのかが問われている。これまで何かと壁になっていた国の硬直化した姿勢に、風穴をあけるまたとない好機でもある。

これこそが地方自治体、高知県に求められている役割だ。前政権型の思考に凝り固まって、後ろ向きにケチをつけているだけでは県民に見放されてしまうだろう。(N)(2009年10月11日 高知民報)