2009年9月20日

コラムアンテナ 「解同史観」の呪縛

地元紙7月4日付夕刊のコラム「病巣は」。部落解放同盟高知市協の森田益子顧問と竹内千賀子議長がこの記事のコピーを振りかざして、岡崎誠也・高知市長をはじめとする高知市の幹部職員165人の「人権感覚の欠如」を攻め立てた。これまで何度も本紙が指摘してきた8月7日、小高坂市民会館での「糾弾会」の場面だ。

このコラムは市政に相次ぐ不祥事とともに、桂浜の「土佐闘犬センター」が設置した歩道橋を持ち出して「不公平行政」の象徴として執行部を批判する内容だったが、これを竹内議長が読み上げ、森田顧問が「新聞社が腹に据えかねて我々の声を反映しちゅう」と迫った。

地元紙は「土佐闘犬センター」の歩道橋問題について執拗に「高知市行政との癒着」という観点から批判しているが、自分が取材した実感では桂浜の地元観光業者間に抜き差しならない感情的なこじれがあること、現在の市担当部課が単純に「闘犬センター」のいいなりになっているわけではない旨を6月7日付の本紙コラムに書いた経過がある。

今の高知市政にとって最も深刻な「不公平行政」といえば、部落解放同盟高知市協によるものであり、これこそが市政の「病巣」であることは多くの市民に異論はないだろうと思うが、その「病巣」自身が、自らの行為を棚に上げ、「糾弾会」で執行部をなじる姿はまるでブラックジョーク。苦笑してしまいそうだが、問題はこの「糾弾会」が地元紙に一行も報じられていないことである。

地元紙は「糾弾会」の事実を知らなかったのか。否。彼らにはかなり早い時期から情報が提供されており、「部落問題」に熱心な記者が周辺を取材していた形跡がある。しかし「差別事件」のネタが30年前ではさすがに「部落差別は根深い」というお決まりの記事にはならないと判断したのか、紙面には何も載らなかった。

今回の「糾弾会」の理由はあまりにお粗末で、地元紙が「差別事件」とするのには無理があると判断したのなら、それはその通りだが、「不公平行政」という視点から、この異様な「糾弾会」を見れば問題は山積しているはずだ。

ところがこれほどの異常事態を目の当たりにしたとしても、「問題あり」とすら捉えることができない。「闘犬センター」の瑣末な歩道橋は取上げても、30年前の「差別事件」を口実に市長以下の執行部が昼間から総動員されて長時間ののしられ、この機とばかりにあれこれと要求を突きつけられる光景を了とするなら、それはジャーナリズムとしての感覚がおかしい。この期に及んで「解同タブー」に縛られているようでは情けない。

地元紙のこのような姿勢が、ここまで解同を温存・増長させてきたともいえ、その責任は重大だ。今回の「糾弾会」には「高知民報」が取材に入ることができたため、実態の一端を市民に知らせることができたのは幸いだった。解同いいなりに幹部を「糾弾会」に参加させる高知市の主体性のなさと同時に、いまだ「解同史観」の呪縛から抜け出せない地元紙も批判されるべきだ。(N)(2009年9月20日 高知民報)