2008年2月10日

何かおかしい「記事体広告」 NUMO座談会に論説委員が出演 「高知新聞
NUMOの座談会が掲載された2008年1月17日付「高知新聞」
新聞の「記事体広告」をご存じでしょうか。スポンサーが紙面を買い取った広告であるにもかかわらず、インタビューや座談会など記事のような体裁でまとめた広告のこと。読者には記事なのか広告なのかが判然とせず、客観性のある新聞記事のように読ませながら、広告効果を狙うもので、全国紙・地方紙を問わず毎日のように掲載されているのが実状です。1月17日付け「高知新聞」に、高レベル放射性廃棄物最終処分場建設をすすめる原子力発電環境整備機構(NUMO)がスポンサーとなった「記事体広告」が掲載されました。この広告の問題点について考えます。

1月17日付け「高知新聞」(朝刊)14面。「原子力エネルギーの必要性と将来を考える」「地域オピニオンリーダーとの座談会」という見出しがついた座談会が掲載されました。

ノンブルという欄外の表示欄には「全面広告」という小さな表示があり、記事の末尾には「企画・制作 高知新聞社広告局」と記載されてはいますが、紙面のどこにも、この座談会のスポンサーがNUMOという記載はなく、読者には誰が広告主なのかよく分からない奇妙な広告でした。

座談会に出演したのは、県内の青年会議所関係者、高知放送ラジオ・パーソナリティの女性、NUMO広報部長。内容は原子力発電やプルサーマル発電、高レベル放射性廃棄物最終処分場の安全性を強調する「お手盛り」座談会ですが、この中にコーディネター役として遠山仁・「高知新聞」論説副委員長の名前がありました。

「高知新聞」広告局への取材内容

−−この広告に読者からクレームはないか。 

広告局
 特に来ていない。

−−座談会の経緯は。

広告局 このような形のNUMOの座談会はシリーズ化されていて他県の地方紙でもやっている。一方的な意見広告ではまずいので、中立的な座談会ならということでOKした。

−−スポンサーがNUMOであることが分からないのはおかしくないか。

広告局 ノンブルには「全面広告」と書いてあるし、文末には「企画制作・広告局」と署名して責任の所在を明確にしており、社としてのルールはクリアしている。

−−なぜ遠山論説副委員長が出演しているのか。

広告局 NUMO側の求めによるもの。他紙でもこのクラスの幹部が登場している。むこう(NUMO)にとって魅力があるのではないか。

−−座談会の記事にNUMOが手を入れたのか。

広告局 実際にやった座談会をそのまま載せている。事前に見せたのは数字のチェックくらいで、発言の流れを変えるような修正はさせていない。出演者の人選は任されており、東洋町のことも聞くが、それでもいいのかと言ってあるなど、座談会はあくまでもこちらが主導したものだ。

現場記者の声

「高知新聞」広告局は、NUMOの一方的なPRではなく、「高知新聞」側の自主性を強調していましたが、座談会での遠山氏の質問は「日本のエネルギーの現状を教えてください」というようなレベルでしかなく、最後には「日本は原子力に頼らざるを得ない。原子力を使うなら高レベル放射性廃棄物の処分は避けて通れない」とまとめるなど、現在の原子力政策への批判的な見地はほとん見られず、NUMOのPRに徹する内容でした。

一線で取材している同紙の現場記者の受け止めはどうでしょうか。

あるベテランは「遠山さんが個人的にやってるんじゃないの?(編集幹部の広告登場は)あんまりいいことではないね」と言葉少な。

別の記者は「記事体広告の問題点は認識している。広告なのか記事なのかがわかりにくいという指摘はその通り」、「広告を取らないと、今の購読料を維持できず記事を読んでもらえないというジレンマがある」などと話しましたが、核廃処分場という極めてデリケートで県民の関心の高い問題で、NUMOに肩入れするかのような広告掲載を苦々しく感じていることが、ありありと感じられました。

核廃推進団体の「記事体広告」座談会を掲載し、さらに論説副委員長という紙面に影響力を持つ幹部がPR活動に参加することは、ジャーナリズムの根本を揺るがし、高知県民に大きな影響を持つ「社会の公器」たる地方紙のあり方をも逸脱するものではないでしょうか。

遠山仁・論説副委員長の話 広告局から依頼があり、NUMOだけでなく、一般の方も出る座談会なのでコーディネーターとして出た。これは高知新聞社としての判断。批判があるという話も聞いているが人にはいろんな考え方がある。(2008年2月10日高知民報)