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藤田直義館長 |
2007年4月に高知県立美術館の館長に就任した藤田直義さんに、館運営の方向性について話を聞きました。
−−館長に就任して9カ月になりますね。
藤田 だいぶ慣れました。美術は「素人」なので不安もありましたが、運営を担っている美術館の学芸員のスタッフが40歳前後の働き盛りばかりで助けられています。「幸い」というと語弊がありますが、高度な専門知識が問われる作品の購入が財政難のためできなくなっていることもあり、どういう方向に美術館を持っていくのかということだけを考えればよいので、自分の力でも何とかやっていけるかなと思っています。
美術館というのは、学芸員にいかに働いてもらうかが重要です。初代館長の鍵岡正謹さんは自主性重視で、自由にのびのびとやれた面はありました。2代目館長の篠雅広さんは学芸員をやってきた人で、その目から見て「うちの学芸員は甘い」と厳しく指導していました。篠さんのおかげで改革がだいぶ進みましたが、3代目の自分は篠さんの考えを維持しつつ、もう少し学芸員の意思を生かす運営をしていきたいと考えています。
■転機となった「指針」
藤田 鍵岡館長時代は、見方によってはスタッフが良いと思うことを方針に基づかずやっていたに過ぎませんでしたが、開館10周年を迎えた2003年に長期的な計画が必要ということになり、職員で話し合って1年間かけて2004年に「高知県立美術館の指針」を作成しました。
それまで学芸員がお客さんに解説するギャラリートークは人気が高かったにもかかわらず展覧会の会期中、2度くらいしかやっていませんでしたし、学校への「出前教室」が進まないのを学校のせいにして、困難を乗り越えてやろうという気概もなかった。
しかし「県立美術館はどうあるべきか」を自分たちで考えることにより、今はギャラリートークは毎週行われ(2006年度は170回以上)、「出前教室」も以前と比べ回数が増えて、目の不自由な方や外国人へのギャラリートークも始めました。
私が文化財団に来た頃は「展覧会は静かなほうがいいので、人はこなくてもよい」などと平気で言う人がいたほどですが、今はそんなことを言う者はいません。お仕着せではなく、自分たちで「指針」を作ったことが意識改革のきっかけになりました。
■指定管理者について
藤田 ちょうど「指針」を作成した頃に指定管理者制度が持ち上がってきました。私は美術館のような施設に、この制度を導入することには疑問を持っています。3年や5年の期間が区切られてできるような仕事ではありません。美術館は学芸員の専門知識や人脈など過去の蓄積が財産ですが、それが数年でガラッと変わってしまったら、一から始めなければなりません。企業でも同じですが、経営陣やスタッフ全員が3年ごとに入れ替わるような会社の経営がうまくいくはずはありません。
美術館は収益をあげるための施設ではなく、税金を使っての県民への「投資」をするところです。100億円もの税金を投入して建てられ、県民の貴重な財産を預かり保管して、高知県の文化行政を推進していく重要な施設ですから、「民間で安く自由にやりなさい」で「投資効果」をあげるのは難しいと思います。
一方でマンネリは確かにあります。そこは一層の自己改革をしていかねばなりません。指定管理者制度という「外圧」でそれができた面は確かにありますが、実際に入札で競争するようなことはすべきでないと思います。(※現在は、県立美術館にも指定管理者制度がもちこまれているものの、県文化財団に入札によらない直指定で運営が委託されている)
■館活動の方向性
藤田 財政難で県民のニーズに応える展覧会がなかなか開けないのが苦しいところですが、実は去年は歴代2位の来館者がありました。一番の要因は「人体の不思議展」。これだけで10万人以上。それに当美術館が企画した「海洋堂の軌跡」やテレビ高知とタイアップした「フランス絵画展」に3万人以上入ったこともあり、トータルで37万人になりました。
一方で派手さのない企画展は5000人くらいです。これからも高知県出身の作家を発掘していきますが、それに何万人も集客することは難しいでしょう。
「人体展」では高知新聞社に館を貸しました。お客さんにとれば、主催がどこであるかなど関係ありません。「貸館」で集客できる展覧会をやってもらい、それを組み入れながら、美術館はやるべき企画展をきちんとやって、それぞれが集客努力をする。私はこれでいいと思います。
「貸館」ばかりでは困りますが、年1回くらいはマスコミが主催する展覧会をやることにより、より多くの県民に美術館に足を運んでもらえればと思います。
−−今年の力点は。
藤田 今、当美術館の活動で全国的に高く評価されているのが舞台公演です。ここ数年では地元劇団と組んで演劇を制作して静岡、岡山、ソウルで公演してきました。開館10年くらいは、いかに東京との差を埋めるかばかりを考えていましたので、東京から劇団を呼ぶことが中心でしたが、一昨年あたりから、うちの美術館にも、世界から声がかかるようになってきています。
ソウルやモントリオールの芸術見本市、イギリスのエジンバラ演劇祭、オーストラリアからも招待され、ようやく世界の劇団とダイレクトに交渉ができるようになりましたた。従来のように業者やプロモーターを介すのではなく、直接招へいする事業に取り組みたい。地方でも金沢21世紀美術館、山口情報芸術センターなどでは東京を介さず独自に直接世界とつながることをやっています。これができるようになれば10%のマージンが節約できますし、他の上演都市に声をかけて、より割安にできるようになる。そのためにはまず高知県立美術館が単独で呼べるノウハウを身につける必要があります。今年は是非これをやりたい。開館記念事業にむけて、エジンバラで観たアーチスト、モントリオールで観た子供向け演劇の交渉を始めています。
■最大の効果をあげるために
藤田 我々が目指しているのは「とにかく美術館に来てくれ」というだけではありません。こちらから外に出ていく活動を重視しています。07年度から「休校プロジェクト」という企画を考え、昨年11月に土佐清水市で開催し、1000人のお客さんが来ていただきました。展示、ワークショップ、映画上映、コンサートなど。学校は教室がたくさんあって使い勝手が非常にいい。
今年はホール部門でも「出前教室」をやることを考えており、クラシックの講座を40校ほどで予定しています。美術館の展覧会やホール事業は、高知県全体をよくするために県民が元気になり、生きる勇気がわいていくるような貢献をアートでするためにあります。しかし地域の方々は時間的なこともあって、美術館までなかなか来ることができない。ならば、こちらから出向いていく。
美術館の運営に税金が使われている以上、最大の効果を得なければなりません。そのためには観客を増やすことが大事。同じ経費をかけた展覧会なら、1人でも多く観てもらえれば、それだけ還元できるし、ホールなら空席をつくらない。そして遠方にはこちらから出かけて行き観ていただく。そういう役割が我々には求められています。専門的で一部の人だけしか分からないような言葉で語っているようでは半人前。それほどに理解をしていない人たちに魅力を伝えて、興味を持ってもらえるような語りかけができてこそ一人前です。
藤田直義 1955年高知市生まれ。学芸高、立命館大卒。四国銀行に務めながら自主上映活動に参加。94年から高知県文化財団に出向してアートコーディネーターとして美術館ホールの企画に携わる。96年同財団企画課長、02年に四国銀行を退職し同財団のプロパー職員となり、07年4月から館長。(2008年1月13日高知民報) |