2007年4月29日

国の原子力政策に痛打 東洋町長選の波紋
高レベル放射性廃棄物最終処分場建設にむけた「文献調査」受け入れを争点に4月22日に投票された安芸郡東洋町出直し町長選挙で、調査撤回を訴えた沢山保太郎氏が、独断で調査に応募した前町長を大差で破り、調査への応募を撤回したことが、国の原子力政策に痛烈な打撃を与えています。

甘利明・経済産業大臣は4月24日の会見で「最終処分場は、他の原子力施設と比べて同レベル以下のリスクしかない。安全性は120%確保されている。安全性については、国やΝUMOがより前に出て説明し、誤解を解いていく。誤解をしたまま賛否が諮られると、当然誤解に基づいているので、こういう結果が出る」などと述べ、東洋町民は120%安全であるのに誤解に基づいた誤った判断を下したと述べました。

住民の主体的な判断を「誤解」と決めつけた大臣の発言には、沢山町長が「住民は正しい認識で正しい答えを出した。安全性ばかり説明し、危険性を説明しない国の方が誤解を招いたのではないか」ときびしく批判。多くの町民、全国からも批判が噴出しました。

また4月24日付の産経新聞社説は「最終処分施設 残念だった東洋町の選択」とのタイトルで「思い込みの先行した不安感を抱く市町村は少なくない。その不安を一掃するためにも東洋町での調査が進むことが望まれていただけに応募撤回は残念。東洋町では残念な結果に終わったが、先見性に富む市町村の応募が続くことを望みたい」と東洋町民の下した判断への「恨み節」が並んでいます。

「八つ当たり」のような大臣発言や、国の原子力政策の「広報」と化している産経新聞の主張からは、東洋町長選の結果がいかに国の原子力政策に根底から打撃を与えているかが伺えます。

核燃サイクル見直しを

高レベル放射性廃棄物最終処分場に埋められるのは、単に原発から出る「ウランのゴミ」ではなく、多大なコストと危険を冒して「ウランのゴミ」を「再処理」(六ヶ所村で処理されている)してプルトニウムを取り出す(プルトニウムは再発電に。一連の計画を「核燃料サイクル」という)際に発生する液状化した高温の廃棄物のこと。この廃棄物を地中深く埋める最終処分場が完成しなければ「核燃料サイクル」は完結しません。

しかし、サイクルの締めであるはずの最終処分場のメドがまったくないまま、青森県六ヶ所村では再処理工場がすでに先行して稼働を開始しているのです。さらに「再処理」により取り出されたプルトニウムには使い道がなく、貯まるばかりで困っているのが実態であり、高速増殖炉での使用も「もんじゅ」の大事故で頓挫、国と電力会社はプルサーマル計画を強引に進め無理矢理プルトニウムを減らそうと躍起になっています。

最終処分場建設のメドが立たず、再処理されたプルトニウムの使途もない中で、「再処理」だけを先行させていく無責任な原子力行政は、根本から見直されるべきです。少なくとも、最終処分場とプルトニウムの使途について国民的な合意が得られるまでは、再処理工場を停止し、「核燃料サイクル」を凍結するのは当然でしょう。東洋町長選の結果は、核燃サイクル見直しへの強烈な問題提起となっています。

上からの押し付けへ

産経新聞4月29日付に「経産省、積極姿勢に転換 核廃処分場の候補地選定」という記事が掲載されました。内容は「経産省は処分場の候補地選定への協力を全都道府県に働きかける方針を固めた。これまで市町村や都道府県から要請を受けて実施していた説明会を経産省が自主的に開催し、早期の調査着手を目指す。平成19年度中の調査開始という目標の実現に危機感を抱き、待ちの姿勢から積極姿勢へと転換」。これまでの市町村からの応募待ちという形では埒が明かないので、今後は国主導で上から強力に説明会を開いていくというものです。

1970年代から80年代にかけて旧動燃が実施した最終処分場の適地を調べるための秘密調査で、高知県西部とともに新居浜市や西条市が適地としてあがっていた愛媛県では、加戸守行知事が今年2月に「頭からノーとかかっていく事柄ではない」と処分場誘致を否定しない考えを示していることもあり、今後もこの問題には関心を払っていく必要があります。