2007年1月1日

マスコミは何を学んだのか 松本サリン事件第一発見者・河野義行さんに聞く
インタビューに答える河野義行さん
1994年6月27日、長野県松本市で起きた「松本サリン事件」の第一通報者である河野義行さんにインタビューしました。河野さんは事件直後から長野県警から犯人視された捜査を受け、「薬品調合ミス」などという警察がリークした誤情報をもとに洪水のような犯人視報道の被害を受けましたが、実際に河野さん宅にあったのは焼き物や写真現像に使う薬品で、毒ガスのサリンを生成することは不可能なものでした。河野さんに事件当時のこと、今のマスコミのあり方について聞きました。(聞き手は高知民報・中田宏)

−−松本サリン事件から12年。当時、河野さんを犯人視した捜査と洪水のような報道がありましたが、その状況はどれくらい続いたのですか。

河野 警察が「河野はシロ」と言ったのが95年6月11日ですから、ほぼ1年間。95年3月には地下鉄サリン事件が起きましたが、95年5月まで長野県警は「河野が毒ガスの話をしていなかったか」と聞き回ってました。

−−松本サリン事件を教訓にマスコミは変わったのでしょうか。
 
河野 変わってないし、変わりようがない。報道の現場では少ない人数で全県の事故や事件を取材していますが、事実検証する時間も、マンパワーもない。警察情報を流すのが、リスク回避ではいちばんいい。警察がそう言っていたといえば、たとえ後で問題になっても相当な理由があるという主張もできますし。

−−それが誤報の要因になる。

河野 警察官は捜査情報を公表してはいけないし、守秘義務もありますから、本当のことをベラベラしゃべることはない。そういう中でかなり危ない橋を渡りながら事件報道は書かれている。「裏をとる」のも、すごく曖昧なところでやっています。否定しなかったからOKとか、今までのつきあいとか。そういう中では間違いもある。事件が特異で大きいものになればなるほど、報道は過熱して他社にない情報を早く載せようとするので、ますます危うくなります。このような報道のシステムは、松本サリン事件以後、注意はするようになったかもしれませんが、何も変わっていません。

−−白装束の「パナウェーブ騒動」など過熱報道は後を絶ちません。

河野 パナウェーブの時は、マスコミがゾロゾロついて行った。報道する意味は分からないが、みんな行くからついて行くという状況。特異なコスチュームなのでインパクトがあったのでしょうが、普通に移動しているだけなのに、住民が道路を封鎖して「怪しい」と言う。報道は一体何を伝えたのか。中身は何もない。報道する必要があったのか。そしてある時、ぱっと引く。何も総括できていません。

−−横並びといえば、記者クラブについてどう考えますか。

河野 よそが何を書こうと、自分のところが大事と思う記事があれば書けばいいと思うのですが、いつも同じような記事になっていますね。業者間の競争ばかりで、視聴者がとんでしまっている。

長野県では田中前知事が記者クラブを「壊し」ましたが、呼び方は何であろうと表現者がアクセスする場はあるべきだと思います。自分たち以外を閉め出すというのは特権を握っているに過ぎない。「報道の自由」と言うならば、表現者に記者クラブを開放していくべきだと思います。雑誌なども入れたらよい。そのほうが緊張関係があっていいじゃないですか。

−−河野さんは報道の品質管理が大切だと提起されていますが。

河野 真実というのはすぐには分からない。だから真実を書けと言っても無理ですが、まずは、その場の事実を書いていく。その場の事実が、前の報道と変わった時には訂正することになりますが、「間違った」という取り方をして、なかなか訂正しようとしないところがある。

その場の事実は刻々変わるわけだから、前に書いたものと違っても、それは新しいニュースなのですが、日本のメディアは訂正とお詫びを一緒にしなければいけないような感覚を持っている。一回書いてしまったのでもう訂正はできないとメンツで押し通すのではなく、状況が変わることもあるというように考えてもらいたいですね。

松本サリン事件の報道は、当初「毒ガスの発生源、会社員宅とほぼ断定」でした。ほぼ断定ということは、断定していないと書けばよいのに、そうは書かない。次は「会社員の池」、「となりの池」、「駐車場」と毒ガスの発生源が、それくらいコロコロ変わった。「ほぼ断定」などと書かずに「断定はされていないけれど会社員宅と思われている」でもと書けばよいのですが、読む人は「ほぼ断定」を、断定されていないとは読みません。当時の見出しに「か」とか「?」が多いこと。「可能性がある」、「可能性もある」とかね。

−−誘導的な書き方がミスリードを広げていった。

河野 生産企業であればミスを組織に浸透させますが、メディアはノウハウを他の記者に渡しません。失敗が蓄積されて財産になるシステムになっていない。メディアには品質管理部がない。製造会社は品質管理の人員が3割くらいいる。メディアには組織として不良品をふるい分けるシステムがありません。製造業では試験をやって、いかに不良品をふるいだすかに全力をあげています。一個でも不良品が出た時に、社会的な信用低下、回収や修理の手間が大変ですから。半導体を例にとれば一個80円とか100円とかの部品ですが、20数種類の試験でふるい分けています。

メディアには不良品をふるい分ける仕事がない。品質管理なしで商品を出しているみたいなものです。情報という品質に、不良が入らないシステムを作るべきだと思います。

−−事件の真相はまだ分からないとこもも多いようですね。

河野
 妻は今も意識不明のままで入退院を繰り返しています。今年になって松本サリン事件でサリンの噴霧車を作ったという実行犯が刑期を終え、家に泊まったことがありましたが、ようやく「ああ、そういうことがあったんだな」と実感がわいてきました。最初は何だか知らないけど苦しくなって病院に運ばれて、2日たったら犯人は私だという話だから、現実感がないのは当たり前ですよね。

それから1年たってオウム真理教の麻原彰晃氏が逮捕され、裁判でいろんな話は出てくるんだけど、やっぱり物語の中のような感じはありましたが、実行犯と話をする中で現実感が出てきました。

−−どうして実行犯を泊めたりするんですか。

河野 要はその人が悪い人ではないということですね。話をしても誠実だし、車を溶接しろと言われたから溶接した。それがサリンの噴霧車だった。警察に誘導尋問され、実刑10年ということになったが、自分としては溶接しただけの気持ちしかない。そういう意味では彼も被害者です。

何より刑期を終えたということは、真っ白ということですから、この国の法では。普通の人として接して、過去にやったことを詫びたいということなので「分かった」と。とてもいい人だったので、今も友達みたいな感じでつきあっています。

−−河野さんは麻原氏の死刑にも慎重な意見を述べていますね。

河野 いくらオウム真理教が悪いことをしたからといって、この国のルール、手続きを外してよいいということにはならない。刑が確定するまでは推定無罪なわけで、そういう中で早く死刑を確定しろというのは怖いことだと思います。慎重にきちんと手続きを踏んでやらなければ、被害者としても納得できません。

世論というのは、法律を上回ってしまうみたいなところがある。みんなが言っているから、許されるかのような。オウム信者の住民票の不受理はその典型です。市長や町長が「憲法に違反するかもしれないが、受理しない」と言う。憲法に違反してるのに受理しないというのは何なのでしょうか。パナウェーブもそう。住民が道路を封鎖してよいという法律はない。逆に封鎖したほうが違法ですが、どこの町でも人を出して封鎖しました。それが当たり前で通ってしまった。

何の違法行為があったのか。「違法があったなら制裁するのは、俺たちではなく裁判所」というのがこの国のルールなのですが、全部飛んでしまっている。オウムや白装束なら何をしても構わないというのは危ない状況。「それは違うよ」とずっと言ってきました。

−−国民の意識が変わらないと、メディアも変わらないと。

河野 おかしい時におかしいと言える人がどれだけいるのかが大切です。しかし、すでに視聴者はメディアに対して冷めているのかもしれませんね。どうせこんなもんだろう、どうでもよいと思っているのでもはやクレームもつけない。メディア規制法が出て「表現の自由だ」とマスコミがキャンペーンをはっても国民は冷たかった。見放されているところがあるのかもしれません。

しかし、メディアがきちんとしなければ、健全な社会はできません。やはり権力批判はメディアでなければできないし、マスコミがおかしいと書いた時に世論ができていく。個人が権力につぶされそうになった時に何によって対抗するのか。個人にとっては真実と法律と世論。その世論はメディアが作るわけで、やはり役割は大きいと思います。