2006年10月15日

言いがかりと難癖 自民党ら4会派の賛成で出資執行の停止を要望する決議を可決 9月県議会

9月県議会 基金協会への出資の執行停止を求める決議を賛成多数で可決自民・山本幹事長は直前に退席(10月6日)
4月に自民党県議が突如「疑惑」を指摘した県信用漁業基金協会(基金協会)への出資金問題(※)は10月6日の9月議会閉会日に自民・県民クラブ(旧社会党系)・公明・県政会(親橋本知事から離脱し自民に接近しているグループ)の4会派が、「高知県漁業信用基金協会への出資金に対する決議案」を多数で採択し(日本共産党と緑心会、21県政会は反対)、一応の「決着」を見ました。県議会産業経済委員会(中西哲委員長)が半年間にわたって実施してきた調査で一体何が明らかになったのでしょうか。
 
今回の調査の結論は、自民党が提起した「基金協会への出資は違法な融資を裏支えするための組織的な闇保証である」という疑惑を、半年間の調査によってもクロという証明ができず、何一つ事実認定ができなかったということに尽きます。

自民党などが提出した「『凍結』決議」は「不明朗な保証の見返りである疑いが極めて強い」と指摘し、平成18年度の900万円の出資の執行停止を求めていますが、提案理由の説明をした森田英二県議も「確認できる具体的な証拠があるわけではない」と言わざるを得ず、「疑念が払拭されない現状では、執行を見合わせることが妥当だ」と述べるにとどまりました。
 
思いこみ

調査で「疑惑」に沿う証言をしたのは唯一、野村元海洋局次長だけでしたが、野村氏をもってしても県組織の意思が融資の見返りではあることは証明できませんでした。野村氏が物的証拠として産経委に提出した「極秘メモ」が誰がいつ書いたものかが不明であったり、元県幹部に「書いた時期が異なる」と強行にクレームをつけられるなど、著しく信用性に欠けることがすぐに露呈しました。

また野村氏自身の発言でも「体質強化ということで(知事が)判断されたことは、それは我々も組織の一員として、認めざるを得ない。けれども(略)ストンと落ちない」と述べるなど、出資と「よこはま水産」とは関係ないというのが県の意思であることを認めています。

「疑惑」を認めている唯一の証人でさえ、この程度。「『凍結』決議」を可決した自民党らは、一体何の根拠をもって、出資の執行を凍結せよと言っているのでしょうか。不可解としか言いようがありません。「決議」の反対討論に立った日本共産党と緑心会の吉良富彦議員は「提案者の主観、思い込みだけで基金協会への出資停止を決定するなどというのは議会のあり方として正しくない」と指摘しています。

立証責任は自民党に

「疑惑」を議論する際には、疑惑を提起した側に立証責任があります。調査の結果、疑惑を証明することができなかったのにもかかわらず「納得できない」、「疑惑は残る」と言いがかりをつけて予算執行に議会の多数でクレームをつけることは、証拠などなくても、自民党が納得しない限り難癖をつけ続けることが可能ということになります。多数党の横暴としか言いようがありません。

「『凍結』決議」の採択の際には、自民党の山本広明県議が退席しました。山本県議は自民党県連の幹事長。長期的な構造的な不況体質で苦しむ漁協関係者から基金協会の体力増強という切実な要求の足を引っ張る自民党に「一体何をやっているのか」という厳しい批判があることを背景にした退席と思われますが、県連幹事長という最高幹部が県民の前で賛否の態度すら明らかにできない「決議」でしかなかったことになります。

「決議」は議会の多数で可決しましたが、議会には一度成立している予算執行を凍結する権限はないことから、執行するかどうかは、知事の判断に任されます。議会の言いがかりに屈して予算執行を取りやめるようなことになれば、知事が県民から付与された予算執行権の放棄につながり、出資に問題ないと主張してきた県海洋局の主張との整合性もとれず、県民に説明がつかなくなってしまいます。毅然とした対応が求められます。
 
4月に自民党の土森正典県議が12年から18年度まで県が県信用漁業基金協会(基金協会)に出資した年間900万円は、11年5月に県信用漁業協同組合連合会(信漁連)が県の要請を受けて実施した「よこはま水産」(旧佐賀町、社長は村越久佐夫・当時の部落解放同盟県連副委員長)への5000万円の融資の見返りとしての「闇保証」であると指摘したことが発端。

その後、野村俊夫・元海洋局次長(現県建設技術公社理事長)が自民党の指摘を「裏付ける」証言を行なう一方、執行部は「出資と『よこはま水産』は無関係。出資は基金協会の体質強化と国の新たな融資制度に対応するための計画的増資」と真っ向から反論。野村氏自身も結果的には、執行部の見解を認め、出資と「よこはま水産」は別であるというのが県組織の意思であることを認めた。

11年当時は部落解放同盟に屈服した歪んだ同和行政が展開されていた時期であり、県は「解同」の猛烈な要求を受け「よこはま水産」の延命策に走り回っていたが、モード・アバンセ闇融資事件の発覚寸前であることから、知事を始め県幹部の中には、「解同」一辺倒の同和行政ではまずいという問題意識が相当広がり手直しが始まっており、13年度には全面的に同和行政が廃止された。