2006年5月24日

「イージス艦は帰れ」 抗議行動の中、米ミサイル駆逐艦「ラッセル」が宿毛湾港に入港 非核回答あいまいなまま
宿毛湾に軍艦はいらない」と訴える抗議行動 大砲の後には景勝地咸陽島
岸壁に横付けされたラッセル   トマホークを撃つミサイル発射管
艦長応接室での会見 市民は遠巻きに見ることしかできなかった
アメリカ海軍のイージス艦「ラッセル」が5月24日朝、「ラッセルゴーホーム」という抗議のシュプレヒコールが響く中、宿毛湾港池島岸壁に入港しました。高知県の港に米軍の戦闘艦が入港したのは戦後初めてのことです。

ラッセル入港時には岸壁近くの公園で、日本共産党、社民党、労組などで構成する実行委員会のメンバー150人が抗議集会を開きました。集会ではJ・W・キルビー艦長宛に、非核証明を出さないままの今回の入港、民間港の軍事利用の広がりに抗議する文書を決議(艦長に抗議文を手渡すよう宿毛市職員に求めるが受け取らず)。港内をデモ行進して「宿毛湾に軍艦はいらない」とシュプレヒコールをあげました。

その一方で、市民を閉め出した岸壁では中西清二宿毛市長、山崎義文県港湾空港局次長、中西哲自民党県議、二神正三県議らが参加して歓迎セレモニーが開かれました。中西市長が英語を交えてスピーチ。キルビー艦長は今回の寄港が親善・交流のためであると応え、セレモニー集合後は、市長ら招待客一行、報道関係者を艦内に入れて艦を説明をする「ツアー」を実施しました。

米側はメディア対応に長けており、報道対象の「ツアー」では艦内の装備について丁寧に説明した後、仕上げにテーブルクロスが敷かれ飲み物や菓子が用意された艦長応接室で会見。艦長は記者1人1人に握手するなど「至れりつくせり」で、「みなさんの新聞(やテレビ)に有益で面白い情報を提供できたのではないでしょうか」と会見を締めくくりました。

しかし艦長の会見の大半はHP等で公開されている既知の情報をくり返しただけ。「寄港が遅れたのはオペーレーション上の理由」、「個別の艦船の核兵器の搭載については回答できない」、「宿毛を出た後の予定は言えない」など肝心な質問には答えませんでしたが、宿毛湾港について「波が穏やかで使いやすい港」と述べました。

キルビー艦長が友好親善をくり返す一方で、歓迎セレモニーの間も艦後方に据えられた機関銃にはヘルメットを被った兵士が弾倉に弾を込め、いつでも陸向けに発射できる態勢で構えていました。そのことを見学者から指摘されると、やがて兵士は弾倉から弾を抜き、機関銃にカバーをかけて隠しました。ラッセルの軍艦としての本質が垣間見える場面といえます。

機関銃は弾込め状態だった