高知市役所の不祥事を考える
高知市で公金着服など不祥事が続いているが、改めて不祥事と市政改革の方向を考えてみたい。問題をはっきりさせるために、誤解を恐れずに言うと、公金に手をつけたり、飲酒運転をする人など、どの組織、社会にもルールを守れない人はいる。だから法がある。 監督責任というが、相手は子供ではない。何もかも同じ「不祥事」でくくるとかえって問題が見えなくなり、正しい解決策にならないと思う。
高知市の昨年来の事件は、補助金事務の取り扱い、随意契約の取り扱い、行政暴力対応など次々とマニュアルをつくりながら、それが守られず事件、犯罪につながっていることが特徴となっている。「ルールが守られない」というモラルハザードがなぜ生まれてきたか。ここに問題の要であるといえる。
日本共産党は、野放図な大型事業拡大、イベント型観光の乱発など市民のくらしとかけはなれた市政運営、特定市民や同和団体など圧力に弱く、一部の者の声が重視された市政運営と幹部登用など、松尾前市政のもとで、まじめに意見をいう職員が疎外され、幹部と職員の信頼関係が大きく崩れたことに土壌があると指摘し、松尾前市政の「負の遺産」を一掃しないかぎり、「いくらルールを作っても機能しない」と批判をしてきた。
この1年余、市民の力で、契約への不当介入の認定と特定業者の指名回避、同和行政見直しの言及、土佐橋の凍結、産廃施設の縮小、人心一新を念頭に入れたと思われる「早期勧奨退職制度」の導入の動きなど注目すべき動きもうまれているが、あいかわらず「解同」の大会に市幹部が大量列席する旧態依然として対応もある。市政の流れを切り替える真剣な努力が必要であり、3月予算や今後の人事が注目されるところである。
「不祥事が続いている」と、過去の不適切な行為などウミを出し切ることにブレーキがかかるようでは改革はすすまない。「改革を徹底し、ウミを出しきる」覚悟が、市政には求められている。
また、最近のことで気になった「不祥事」に、車上荒らしで保育士の手帳が盗まれ、個人情報が漏えいした、という事件がある。不必要な名簿の持ち出しは問題だが、本来、責められるべきは車上荒らしの犯人であって、勤務時間を終えても保護者、子どもに対応しようとする保育士、教師を、連絡先を持っていたからと責めるなら、「勤務時間が終えれば仕事のことは知りません」という流れを生むことにつながると危惧する。勤務を終えても、子どもに心を寄せ、保護者に連絡をとる教師、保育士が必要ではないだろうか。何でも叩けばいいというものではない。組織的なゆがみを生む根本に何かあるかを見極めることが求められていると思う。
小泉政治は、暮らしを守る国の責任を大幅に後退させ、民間に市場として明け渡すために、「郵政労働者は特権階級だ」など意図的に国民の間に分断を持ち込む「公務員バッシング」を行い、公務労働を解体しようとしている。こういう流れとも一線を画した対応が必要と考える。(岡田和人・日本共産党高知県常任委員)
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