2005年3月20日


佐川町住民投票 「日高村との合併反対」が圧倒 特例債目当ての駆け込み拒否



           合併反対が多数となり歓声があがる「考える会」事務所


佐川町と日高村の合併の是非を問う住民投票が3月20日に実施された佐川町では、投票者数の約57%が合併反対の意思を表明(反対4266票、賛成3129票)。賛成に1100票以上の大差を付けて、住民の一体感を無視した合併特例債目当ての駆け込み合併を否定しました。同日、日高村でも投票が行われ、こちらは賛成が多数となりましたが、佐川町の結果を受けて合併は御破算になりました。投票率は約61%。投票条例には5割以下ならば開票しないという規定があったことから、投票率が注目されましたが、佐川町民が住民自治を発揮し、町の将来に自ら判断を下しました。

大差で合併反対となった結果を受けて合併に反対する運動に取り組んできた「佐川町と日高村の合併を考える会」会長・中村卓司町議は「佐川の歴史に残る運動だった。合併はしかたがないという人でも日高村との合併は問題が多すぎるというのが町民の思い。執行部の間違った説明を聞いて合併やむなしと誤解した人も、時間がたてば理解してもらえるはず」、副会長の松本正人同町議は「投票を成立させた住民の自治意識の高さは町民の良識。佐川町と日高村は生活圏も違いもともと合併は無理があり、町民不在のまま合併に突き進む町執行部には『おかしい』という強い批判が住民にあった。合併しても単独でも、これからの自治体運営は大変であり、自律にむけ一層努力していかなければならない」と話しました。

佐川町と日高村の合併は、2003年に佐川町・越知町・池川町・吾川村・仁淀村による合併が越知町の離脱で破綻した後、2004年7月に一転して法定協議会が立ち上げられ急ピッチで準備されてきたものですが、新町の具体的な計画や合併特例債の使途など肝心な点はほとんど決まっておらず、住民からは「越知がだめなら日高かよ」、「産廃の地元対策として日高村につくる設備のランニングコストを佐川町民が被るのは納得できない」などという声が出ていました。

合併に反対する住民は「佐川町と日高村の合併を考える会」を結成。保守系、民主系、日本共産党の町会議員と幅広い町民が結集して佐川駅前に事務所を構えて、住民発議で住民投票条例を設置させ、学習会を開き宣伝カーと全戸配付ビラで合併反対を訴えました。

合併賛成の運動の中心になったのは佐川町と関係の深い土木業者Kで、「合併しなければやっていけない」というビラを配布。橋本郎大二郎県知事は「合併特例債の償還に交付税が優先的にあてられるので、合併して特例債を借りなければ割を食う」と合併推進を住民に訴えました。

佐川町議会は賛成・反対派が拮抗していますが、反対票が賛成票を1100票以上も上回ったことから、合併議案が提案されても否決されることは間違いないと思われます。また中山博司・佐川町長が合併議案自体を町議会に提出しない可能性もあります。いずれにしても住民不在の合併推進で町政を混乱させた中山町長の責任は重大であり、8月の次期町長選挙に向けて、住民本位の町政をめざす動きが活発化していくことは必至の情勢です。

佐川町の住民投票の結果を一部メディアが、「調印の後」だったことを強調し、選択に瑕疵ががあるかのような印象を与える報道をしていますが、「調印」とは合併法定協議会で取り決めた内容を確認するものにすぎず、合併を決定する性格ものではありません。もともと2005年3月に予定されていた「調印」を、中山町長が住民投票の直接請求に対抗するため、合併を「既成事実」化しようと住民説明会を始める前の1月に前倒ししたもので、当時住民からは「急いですべきではない」という批判の声があがっていました。住民の意思表示の前に強引に「調印」して町政を混乱させた町長の行政責任が問われこそすれ、住民の選択にケチをつけるのは的はずれと言わなければなりません。