2004年10月28日


秋山証人が経営する「ホテル佐渡」 証言直後に和住が購入していた 

和住が買い上げていたホテル佐渡今は解体されてい


 笠誠一氏・自民党県議と一体になって「知事選挙資金疑惑」を仕掛けた横矢忠志氏が経営する株式会社・和住(高知市中宝永町)が、県議会百条委報告が坂本ダム工事の談合を「クロ」とするうえで有力な証言をした秋山武子氏が経営する「ホテル佐渡」を買い上げていたことが明らかになりました(その後転売、登記簿)。疑惑の仕掛け人・横矢氏と、秋山氏の間に接点があったことは秋山氏の証言の客観性を疑わせるものです。

 秋山氏の証言は、自民党や県民クラブらが談合をクロ認定で押し切るうえで極めて重要な役割を果たしました。平成4年3月24日の秋山氏の日記には「熊谷組が1億寄付をして仕事をどっかでとるとのこと、許せない気がする」と書かれているといいます(日記の現物は百条委に明らかにされていない)。また後述するように、自民党委員と掛け合いをしながら、「熊谷組がダム工事を談合でとる」という会話が平成3年から4年にかけて笠氏が頻繁にしていたという趣旨の発言を繰り返しました。自民党の森田英二委員は、秋山氏の日記や証言を毎回の百条委のたびに繰り返し引用し、談合の根拠付けに用いました。

 ところが、肝心の笠氏は8月5日の尋問で、「資金提供を受けた時に坂本ダムの話は出ていない」とこれまでの証言を転換。「熊谷組から資金提供を受けることは知事に言っていましたが、それだからどうだこうだとかいうことではないです」と、平成3年当時は、資金提供の見返りに公共工事の談合をするという認識はなかったと断言しました。さらに今年の10月13日、橋本氏が笠氏と会談した時に「何か取引があったのか」という橋本氏の問いかけに「全然ない」。坂本ダムのことを初めて聞いたのは当時の山本卓副知事から談合情報について問い合わせの電話があった時だったと述べています。
 これらを総合すると、笠氏は平成5年までは資金提供の見返りに熊谷組が公共工事を談合でとるという筋書きを承知していなかったことになります。

 笠氏の証言転換により、笠氏自身ががこれまで繰り返してきた「知事室で談合について書いたメモを橋本氏に渡した」という主張が矛盾を生じているのと同様に、秋山氏の証言と日記も、時空を飛び超えた、説明のつかないものになっています。

 秋山証言と日記によると、秋山氏は平成4年3月の段階で熊谷組がダム工事で談合して1億円を捻出するということを既に知っていたことになります。笠氏が知らないことを、なぜ秋山氏が知ることができたのでしょうか。 
 また秋山証言には、「ホテル佐渡」に運びこまれた1億円の裏金を大金と認識しながら、1階のカギのかからないロッカーに何日も放置してあったと述べるなど不自然な点が少なくありませんでしたが、平成3〜4年当時に笠氏が談合をほのめかしていたことについては、12年も前のことにもかかわらず記憶が驚くほど具体的で鮮明でした。秋山氏が百条委で証言した前夜の1月14日に笠誠一氏が「ホテル佐渡」に宿泊しているのは偶然なのでしょうか。

 秋山氏の不自然な証言と並行して、笠氏と一心同体となり「橋本4選阻止」の中心になって動いていた横矢氏が経営する会社が、「ホテル佐渡」の土地建物を購入する話が進行していたのです。秋山氏はかねてから経営難のため土地建物を売り、旅館業を整理したかったと言われており、和住側に買ってもらえなければ非常に困る関係になっていたと思われます。このような状況が、証言内容に影響を与えていないのでしょうか。真相は闇の中ですが、多くの県民に証言の客観性に疑問を生じさせるものです。

平成16年1月15日の秋山証言の抜粋(談合にかかわる部分)

秋山証人 (笠氏が)どうして選挙が済んだに(高知に)おるがいうて聞きましたら、後援会も事務所もつくらないけませんし、いろいろ選挙に入った時に、お金がなくて、寄付、献金ですか、なんか1億円借りておるから、それの後始末があるからおらないかんと。そうって聞きました。

元木益樹委員長(自民) 熊谷組の(略)間島さんという方をご存じありませんか。

秋山 お会いしたことはないけれども、間島さんという名前はちょいちょい聞きました。

元木 どなたから聞きましたか。

秋山 笠さんから聞きました。その人がなんか取り仕切りゆうとか言うて、チラリッと聞きました。

元木 ああ、取り仕切る。

秋山 何か談合いいますか、なんかそういうことやないでしょうかね。その時にはあまり詳しく聞きませんでしたけど、まあそういうことです。

秋山 私何日かしらんの日記に、熊谷組が何か献金、寄付してどっかのダムの工事をとるらしい。これは許せんことだということを書いています。

秋山 (笠氏が)何かやっぱり熊谷組さんに恩といううちに、お金も出してもうろうてるし、どこやろいうくのダムの工事をどうしてもとらしてあげないかんから、来ゆうがやとそう言いました。

森田英二委員(自民) 平成4年の3月頃自分の日記に書いてあったということで、熊谷組が後何年か先に発注される県の工事を早取ることが決まっちゅうことは許せんと。

秋山 はい。

森田 許されないという憤りを日記に書かれていますわね。どういう状況でそんなことを思われたのか。

秋山 そりゃけんど私なんか一生懸命夜もろくに寝んと、一生懸命しゆうのに、1億円寄付して仕事を取って。どう言うたらいいですかね。どう説明したらええやらわからんけど。

森田 ということは、熊谷の人とか1億円とかいう選挙資金が動いたりしゆうのを見て、こんなところでこんな大きな工事が決まっていくんや。既に決められちゅうがやっていうことを悟った、知ったと、女将さんがね。

秋山 そうです。ええ。