2003年10月16日 高知民報
「裏帳簿を事務所前で焼いた」 笠氏証言に重大な矛盾
選挙事務所があった土地(高知市南はりまや町)
1991年の知事選挙で橋本大二郎氏の選挙事務所に関わったとされる笠誠一氏の書いたメモを発端にした「選挙資金疑惑」について、笠氏は10月3日の議会運営委員会、9日の企画建設委員会で証言に立ちましたが、証言の中では、次々と矛盾点が露呈。笠氏の書いたメモや証言は、到底信用できないことが明らかになりました。
■露骨な政治的思惑
笠氏は、証言の目的は橋本4選阻止であり、国分川右岸の土地(高知市南久保)をめぐり県と争っている株式会社・和住の横矢忠志社長、依光隆夫・自民党県議と入念に打ち合わせて臨んだと述べるなど、反橋本勢力の野合による知事追い落としという露骨な政治的思惑をまったく隠そうとしませんでした。
しかも、笠氏の証言には事実に反する点、辻褄が合わない点が数多くあります。資金を出したといわれる町田照代・橋本後援会長は金融機関の調査結果を示して、資金提供の事実を全面否定。法的手段も辞さない構えです。他にもおかしな点は多くありますが、裏金を記載した「裏帳簿」を橋本知事の指示で焼却したというくだりがその典型です。
橋本氏が公邸に入ったのは92年3月28日だった
■裏帳簿
笠氏は「裏帳簿」の処分を橋本知事に公邸で指示されたので、事務所(高知市南はりまや町)の建物の近くのドラム缶で焼いたと繰り返し証言しています。
橋本知事が鷹匠町の知事公邸に入ったのは92年3月28日のことですから、公邸で相談したというのが事実ならば、時期はこの日以降ということになります。では選挙事務所はいつまで存在したのか。
笠氏の証言で何度も名指しされた1期目の選挙スタッフを務めた高橋次郎氏は「裏帳簿。そんなもの見たことないですね」と苦笑しながら、「選挙事務所は当選した91年12月1日の翌日からすぐに解体に入りました。建物自体は5日後くらいには撤去されています。あの土地(南はりまや町)は、穴吹工務店の資材置き場を無理を言って貸してもらったものですから、すぐに明け渡さなければなりませんでした。撤去後は再び資材置き場になってフェンスが張られて入れなくなっていたはずですよ。92年3月末まで建物があるがずがない」と話します。
笠氏が、知事と公邸で「裏帳簿」の処分を相談したという3月末以降に事務所の前で「裏帳簿」を焼却することはどう考えても不可能なのです。笠氏の証言は一事が万事この調子。まともに信用できるような代物ではありません。「橋本下ろし」という政治的思惑を動機に、一個人のいいかげんな証言を唯一の根拠に百条委員会設置まで強行した自民党・県民クラブ・公明党、いたずらに「疑惑」をあおった一部マスコミの責任は重大と言わなければなりません。
10月3日 県議会議会運営委員会での「裏帳簿」に関する質疑
武石利彦委員(自民) 新聞のインタビューで裏帳簿を知事が焼き捨ててくれというので、焼き捨てたと答えていますが。
笠誠一参考人 選挙が終わって、選管の報告書がまとまって公邸の方へ全部書類を揃えて持っていきましてね、こっちは表、こっちは裏と説明したんですよ。そしたら大ちゃんが裏の方について速やかに焼却しちゃってくれと、そういう話があったんですよ。それだから焼却しちゃいましたけどね。
武石委員 どこでどのように焼き捨てたのか。
笠参考人 選挙事務所の、まだ家が残っていましたから、その原っぱのはっきりした記憶っていうのはないけど、原っぱで焼き捨てましたよね。ドラム缶か何かの中へ。
武石委員 事務所の周辺ということですね。
10月9日 企画建設委員会での質疑
中内桂郎委員(21県政会) 裏帳簿の処理を公邸で相談したということだが、公邸というのは現在知事が使っている公邸のことですか。
笠参考人 そうですね。間違いないです。
中内委員 公邸を知事が使用しはじめたのは4月以降ということになりますが。
笠参考人 そうです。
中内委員 選挙事務所の撤去はいつでしたか。
笠参考人 選挙が終わったんだから、必要がないから撤去したわけですよね。それは選管に届ける直前に、記憶違いかもしれないが、こういう内容ですよと話にいったのが公邸なんですよ。
中内委員 選挙事務所はすぐ壊した、裏帳簿を焼いたのは事務所の庭でドラム缶だと前回証言していますが時期にはズレがある。
牧義信常任副委員長(日本共産党と緑心会) 公邸に裏帳簿を持って行った時期が、平成4年4月以降であろうということですが、時期は間違いありませんか。
笠参考人 選管に報告書を出す直前だと思うんですよね。