「解同」糾弾を死因に認定 澤谷裁判が全面勝訴
2002年6月30日
1990年に解離性大動脈瘤破裂で死亡した高知市立朝倉中学校元校長の沢谷楠寛氏(当時59歳)の死因が生徒の非行・教員失踪への対応や部落解放同盟の学校介入を原因にした過重な公務だったとして妻の寿美さんが地方公務員災害補償基金県支部(橋本大二郎支部長)に対して公務災害認定を求めていた裁判の判決が21日、高知地裁であり、原告側の主張を全面的に認める画期的な判決が下されました。
裁判の支援活動に取り組んできた「沢谷先生の公務災害認定を支援する会」(窪田充治会長)は、判決後直ちに、県庁内の地方公務員災害補償基金高知県支部を訪問し、控訴しないよう要請しました。
同日夕、高知城ホールで開かれた報告集会では「支援する会」の窪田会長が「沢谷楠寛校長の人間の尊厳を認め、『解同』タブーを打ち破った素晴らしい判決」とあいさつ。谷脇和仁弁護士が判決の持つ意義や特徴を報告しました(別項)。
原告の寿美さんが「矢田事件・一ツ橋事件が切り開いた道と、全国の支援のおかげでかちとった判決と思っている。まだ、たたかいは続く。気を引き締めて頑張る」と謝辞を述べました。
集会では、全教、全解連、国民融合全国会議、三重県で「差別事件」で解雇さ処分撤回を求めてたたかっている弓矢伸一さんが出席し連帯あいさつしました。
「支援する会」は、災害補償基金側が判決を受け入れて、控訴しないように求める運動を強めることにしています。
画期的判決 谷脇和仁弁護士
画期的判決だ。提訴当時の過労死が認定されない状況、まして同和教育に関わる過労公務の実態は闇に閉ざされており、難しい裁判になると覚悟していたので、「高知の同和行政・同和教育を変えていく裁判として楽しくやろう」と話してきた。
裁判では、こちらの主張に、被告が反論してこなかったので、どんどん立証していくことにした。市教委や「解同」の現場まで立証することはできなかったが、糾弾会の実態などを示し、その背景はほぼ立証することができた。あとは裁判所が勇気を持って判断するかどうかだという希望を持って判決に臨めた。
公務災害ではないとした認定をくつがえした判決は、校長ではこれが初めて。この判決を勝ち得たことには4つの理由がある。@遺族の故人の無念を晴らしたいという執念。事実を明らかにしたいという思い。A遺族を支えた教職員や組合の皆さんの力。B全解連、全教を含めた全国規模での連帯。C大きな追い風。時代の流れを感じる。過労死の認定基準の拡大と同和の圧力にいかに行政が弱いかが明らかになったこの間の「解同」と県行政癒着の解明。
判決文の多くの部分で同和問題に触れ、結語でも同和問題を取り上げた。裁判所が過労死を起こした原因の中で、最大の原因は同和問題だったと示したものだ。
判決文には「高知の同和教育をなんとかしよう。現場を変えていこう」というメッセージが含まれていると思った。
県が控訴するかどうかは、県行政がモード・アバンセ事件の真摯な反省を示すかどうかということ。もし控訴するなら高裁に舞台を移して勝利を確実なものにしていくたたかいを続ける。
支払い基金は控訴せず判決が確定
2002年7月21日
元校長の沢谷楠寛氏の死因は「解同」の圧力による過労死として地方公務員災害補償基金県支部に公務災害認定を求めていた裁判で、過労死を認める高知地裁の判決に対し、基金側は控訴せず判決が確定しました。