2009年10月4日

コラム南炎 「乏しいスケール感」 県議会知事提案理由説明を聞いて

9月25日の県議会開会日、議案の提案理由説明に立った尾崎正直知事の発言に「肩透かし」のような感触をもった▼自公政権による「構造改革」路線に国民的審判が下り、政権交代がおきた直後の県議会である。後期高齢者医療制度や障害者自立支援法廃止の展望が生まれ、高校授業料無償化へのプログラムが現実のものになるなど、いかに民主党の本質が怪しげであっても、これまでの国民の運動を一定反映せざるをえず、それ故に国政に重要な変化が生まれようとしているこの時に高知県を代表する知事が何を言うのかを注目して聞いた▼しかし、知事はこの国政のダイナミックな変化の展望や国民の審判についてほとんど言及せず、あえて無視したようにさえみえた。高知県の物産展の回数が増えたとか、航空機の利用促進のため福岡で高知便の宣伝をしたとか、セールスマンよろしく、スケール感に乏しい話に終始したことが印象的だった▼知事の声がマックスボリュームになったのが教育問題。先日、公表された3回目の「全国学テ」で中学校ではやや成績に改善がみられたにもかかわらず、小学校で順位を下げたことを語気を強めて批判した。同じ生徒の順位ならともかく、まったく別の生徒が異なる問題で受けた調査の順位に一喜一憂する意味がよく分からないが、いずれにせよ新政権のもとでこの調査も悉皆(しっかい、全員の意味)から抽出に見直され、縮小される可能性が高まっている。このような時に全国順位を絶対視して上がった下がったと言い立てるのはどこかずれていないか。学テにとどまらず、国民の審判の意味を、高知県政として深いところからしっかりとらえなおす必要がありはしないだろうか。(ひ)(2009年10月4日 高知民報)