「高知新聞」が知事選告示を前に「私たちは何をどう見ているか」というタイトルで異例な「記者座談会」を載せた。テーマは知事選と一連の同紙の「選挙資金疑惑」報道のあり方。行間から同紙に読者から風当たりが強いことが伺われるが、どのような言い分を展開するのか「愛読者」として興味深く読んだ▼これまで、この手の座談会は覆面で言いっ放しが常であったが、今回発言者名があったことは評価したい。政治部と社会部・経済部とのスタンスの差、記者がどのようなことを考えているのかが一定分かったのは、「バランス感覚のある記者もいる」というアリバイにも見えるが参考になった▼座談会では政治部記者が「知事をいじめている」と批判にさらされていることを不満がり、その原因を「詳しくやり過ぎた」と記事の量に求めていたが、問題は量ではなく内容だ。読者に「自民党の手先」と感じられているバランスを著しく欠いたスタンスを改めることが肝心ではないだろうか▼「権力者の監視は使命」であることは当然だが、同紙のスタンスは橋本県政の「監視」ではなく「打倒・首を取る」ではなかったか。橋本県政は、建設業界が公共事業をとるため政治をコントロールする日本の自民党的な権力構造と中央集権体制に県民が打ち込んだクサビだ。これを旧弊が、よってたかって引き抜こうとしている時に、真の権力者である「自民党の手先」になってお先棒を担ぐのは「権力の監視」とは言わない。同紙社会部が県警捜査費問題で警察権力のタブーに挑戦しているのは賞賛に値する。誰のお先棒でもなく同紙自身が権力と厳しく対峙しているからだ。この姿勢こそ「報道の使命」だということを肝に銘じてもらいたい。

戻る