「解同」の県教委交渉を取材して

                                        2002年12月15日


 12月4日に行われた県教育委員会と部落解放同盟県連合会の話し合いを取材することができました。これは偏向した不公正な同和行政の要因になっていた過去の大人数による威圧的な「運動団体」との交渉を改めるため、交渉人数を制限し内容を報道に公開して透明性を高めるという県の方針により可能になったもので、同和行政終結にむけて主体性を示す県の決意を表すものといえます。
 『高知民報』は1970年代から「解同」と、「解同」に屈服した県行政・県教委の批判を数えきれないほど書いてきただけに、交渉に立ち会い現在の「解同」や県教委幹部の本音を直接聞くことができたのは大きな収穫でした。
 話し合いには県教委から大崎博澄教育長をはじめとする約10人、「解同」から森田益子県連委員長(県議)、藤沢朋広書記次長(高知市議)など18人が参加しました。
 会場の雰囲気は全体としては威圧的なものではなく、発言を遮る「解同」幹部に県教委課長が「終わりまで発言させてください」と反論する場面もあり、「解同」側も一定自制しようという姿勢を感じました(課長の私生活上の言動を問題視する高圧的な発言もありましたが)。
 「解同」側がさかんに強調していたのは、@部落差別は今日も非常に厳しいという認識、A同和教育を人権教育で十把ひとからげにするのではなく、「同和教育」という名称を残せという要求、B被差別部落の差別の実態を明らかにする調査実施、C学校の人権教育主任を過去の同和主任のように解放子供会の指導などで地域に自由に入れるようにすることなど、社会問題として基本的に解決された部落問題の時計の針を逆戻りさせるような要求でした。
 橋本大二郎県知事が特別措置法期限切れを待たずして前倒しで多くの同和対策事業を打ちきったこと、「同和」という呼称が使われなくなったことなど、とりわけ知事部局の姿勢に強い不満を示し、「教育委員会には期待している」と、教育啓発を今後のよりどころにしていくことを強調していました。
 「特別措置法が切れたからといって同和地区がなくなるわけではなく、まだ差別はあり課題はある」という現実とかけ離れた認識が大崎教育長の回答の基調。この現状認識が「差別があるなら地区の実態調査をしないのはおかしいではないか」と詰め寄られ、答えに窮するなど、「解同」に突っ込まれる大きな要因になっていました。
 議論の中で大崎教育長が「人権教育のカテゴリーとして『同和教育』という呼称を使用することはありうる」と発言するなど、逆流に押し戻されるような場面もありました。しかし、「解同」側も「教育長は総論はいいが各論に具体性がない。結局は何もやらないのと同じことだ」と苛立ちをみせるなど、必ずしも「解同」の思い通りにことが運んでいるわけではありませんでした。
 県教委が、今日の部落問題の到達をつかみ、社会問題としての部落問題は基本的に解決したという認識に早くたつことが、いかに重要であるかということを実感させられた取材でした。
(中田宏・高知民報記者)